ケトン体が新型コロナから人類を救うかもしれない
| 固定リンク 投稿者: 応用生物学部スタッフ
今年7月にケトン体と新型コロナの関係について興味深い論文がNature誌に報告されましたので紹介します。
論文:Karagiannis F, et al., ketogenesis ties metabolism to T cell dysfunction in COVID-19. Nature. 2022 Sep;609(7928):801-807.
この論文の結果の要点
1) インフルエンザの重症患者では有意なケトン体濃度の増加が起こったが、COVID-19の重症患者においては、ケトン体が増加しなかった。
2) インフルエンザの重症患者のT細胞はインターフェロンが増加したが、COVID-19の重症患者においては、インターフェロンが増加しなかった。
3) ケトンエステル(小腸で加水分解されてケトン体を生成する)をCOVID-19病態モデルマウスに投与すると、インターフェロンが増加し、重症化を抑制した。
この論文の画期的な結論
1)COVID-19の予後がよくないのはケトン体が増加しないためである可能性がある。
2)ケトン体の補充療法がCOVID-19に有効である可能性がある。
1. 新型コロナの重症患者はケトン体が増加しない
ホモサピエンスは20万年前にアフリカ東部で誕生しましたが、現在まで「食べ物がない」という状況にさいなまれ続け、これに対する適応によって進化が促進されてきました。ここで注目してほしいのが、ヒトは絶食に暴露されるとエネルギー代謝を転換(論文では“リプログラミング”と述べています)できるという事実です。すみやかにメインなエネルギー源をブドウ糖からケトン体に転換させることができるのです。このことこそが長く続いた氷河期をホモサピエンスが生き残ってきたという奇跡の生理的な根拠であった可能性があります。
この転換は絶食のときだけに働くわけではありません。ウイルス感染を拡大させないために必要なのです。
インフルエンザに感染して「何も食べたくない」という感覚が何日間も続いた経験を誰でも持っているでしょう。このとき体重が数日で何Kgも減ってしまうことはまれではありません。中性脂肪がケトン体に変換されてこれをエネルギー源として使うために体重が短時間で大きく減少することになります。しかし近年になってこのケトン体が免疫系に重要な役割があることがわかってきているのです。ケトン体の増加はインフルエンザによるさらなる重症化を防いでいることを最近の免疫学が明らかにしています。
ケトン体をヘルパーT細胞に添加すると、ヘルパーT細胞は活性化され、抗ウイルス作用を持つインターフェロンを放出することができます。これは最近の免疫学の多くの論文が示すことです。ヘルパーT細胞がインターフェロンを放出すれば周囲の細胞にウイルスが拡散できなくなり、感染の拡大を防ぐことができます。感染症の時に起こる食欲不振は、ケトン体を増加させケトン体がヘルパーT細胞を活性化するという優れた機構によるものです。従って、ウイルス感染時にケトン体が増加しなければ大変なことが起こることが容易に考えられ得るのです。
さて今回取り上げた論文では、COVID-19の重症患者ではケトン体の増加が起こらないことをつきとめました。これに対してインフルエンザの重症患者ではケトン体が正常に増加するのです。このことから言えるのは、新型コロナの重症患者では、ケトン体が増加せずヘルパーT細胞からインターフェロンの放出の増加も起こらず、それによりウイルスのさらなる感染の拡大が起こるのだろうということです。
2. 新型コロナの後遺症の原因はケトン体が増加しないことでは?
次に筆者(佐藤)が特に注目するのは脳への感染の拡大です。新型コロナの感染は上部気道の上皮細胞にウイルス粒子が結合することから始まります。この部分で感染が収束すれば風邪と同じ症状で終わりますが、感染が肺胞上皮に拡大すると新型コロナの感染は重症化の機転を取ります。重症化すれば患者は大変な苦痛を味わうことになりますが、この段階で回復できれば数週間で日常生活に戻れるでしょう。問題は上部気道から副鼻腔を経て脳へ感染が拡大した場合です。このとき脳の中では何が起こっているのでしょうか?脳の一部(たぶん前頭前野)でニューロンとミクログリアの間で慢性的な炎症が成立し、脳の後遺症(多くがうつ様の症状)が長く続くことになります。この慢性の炎症の原因が、ウイルスの感染時にケトン体が増加しなかったことである可能性があります。
以下のようなメカニズムが想定されます。
ケトン体が増加しない→ヘルパーT細胞がエネルギー不足→インターフェロンが産生されない→脳へ感染の拡大→脳での慢性炎症の成立(新型コロナの脳の後遺症)
新型コロナにおいてケトン体が増加しない理由は不明のままです。ケトン体が増加しないので、ヘルパーT細胞はインターフェロンの放出を活性化することができない。新型コロナではウイルス感染の防御機構があまり働かないため、ともすると重症化や死亡にまで至る事態になることが示唆されます。インフルエンザの感染症ではまれにしか脳の後遺症が残らないのに、COVID-19ではかなりの割合で脳に後遺症が残ることが知られています。しかもこの後遺症が何か月にもわたって続き、Long-COVIDと呼ばれ医療の現場では大きな課題となっています。
ホモサピエンスが巨大な脳を永く維持するためにケトン体の制御は重要です。ケトン体は脳血液関門をフリーに通過できるので脳のエネルギー基質として重要です。またケトン体は『ニューロンの7割から8割のエネルギーを生み出すミトコンドリアで使われる』という意味でもケトン体は脳の機能を維持するうえで大変に重要でしょう。インフルエンザに感染して数日間以上何も食べなくとも脳が正常に機能が維持され後遺症が残らないのは、まさしくケトンの増加があるからにちがいありません。
3. 新型コロナにケトン体補充療法が有効
脳は非常にエネルギー不足に弱い組織です。特に、大部分のエネルギーがミトコンドリアで生産されているニューロンは弱い。その救世主がケトン体なのです。COVID-19が重症化するとケトン体が生産できないとすれば、食欲不振でのエネルギー不足がケトン体で補われないということになります。ケトン体が増加しないCOVID-19において脳に十分な量のケトン体を供給できないために脳に高い頻度で後遺症が残る可能性があります。
Karagiannis Fらは、ケトン体をCOVID-19重症患者のヘルパーT細胞に補給してやるとインターフェロンをまた作るようになることも報告しています。COVID-19の重症患者のヘルパーT細胞がインターフェロンをつくれなかったのはケトン体が足りなかったからではないかという可能性がある。マウスの病態モデルでもケトン体を供与するとCOVID-19の肺の重症化を抑制しました。もしヒトでも同じことが可能だとすればCOVID-19の患者にケトン体を補給してあげれば、ヘルパーT細胞はインターフェロンを作れるようになるので、さらなる重症化を抑制できるということが十分に考えられます。
ケトン体の補充療法は脳の後遺症の発生も予防するかもしれません。ケトン体を点滴で補充できればCOVID-19の重症化を防げるとともに脳での後遺症も防げることになるとも考えられますが、これはさらなる研究を待つことにいたしましょう。
もしかしたらケトン体がCOVID-19から人類を救うことになるかもしれない、このように筆者は考えております。
佐藤拓己