ビタミンCの不思議
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ビタミンEが脂溶性ビタミンの代表選手とすれば、ビタミンCは、最も有名な水溶性ビタミンである。化学的には L-アスコルビン酸という化合物であり、構造的にはブドウ糖とよく似ている。実際マウスのなどでは、ビタミンCはブドウ糖から酵素で合成され、細胞の中に入る時はブドウ糖と同じ経路で細胞内に入ることが知られている。生体の活動においてさまざまな局面で重要な役割を果たしている。食品に含まれるほか、ビタミンCを摂取するための補助食品もよく利用されているほど不思議で面白い栄養素は他にないのではないか。ビタミンCの血中の生理学的な濃度は70マイクロモル程度だと言われているが、10マイクロモル以下に低下すると、壊血病という重大な病気になる。壊血病になるレベルでなくともビタミンCの濃度が低下すると老化が促進されるという。ビタミンCの不足によって起こる壊血病は霊長類特異的な疾患である。なぜなら哺乳類の中で霊長類だけがビタミンCを自身で合成できないからである。これは霊長類がブドウ糖からビタミンCを合成する酵素が失活しているためである。またこの酵素を失活したのは約6000万年前だと言われている。この時期は地球の歴史の中でそれまでになかった「樹冠」という環境が生まれた時期であり、この樹冠に最も適応したのが霊長類である。この霊長類は樹冠にある豊富にある果実を常に食することができたため、ビタミンCを合成する酵素が失活しても問題はなかったのではないかと推察される。またミトコンドリアの遺伝子変異の研究から、げっ歯類から霊長類が分かれたのがまさしく6000万年前であるとされ、ビタミンCを合成する酵素を失った時期とぴたりと一致する。これらの知見は、ビタミンCの生理的な重要性を示唆しているのである。またこの有力な証拠として、ビタミンCを自身で合成できるマウスでは、この酵素の遺伝子をノックアウトすると、あたかもヒトの壊血病のような症状を示すことが知られている。興味深いことにこのノックアウトマウスは、ガンの発生確率が有意に増加するとい。これはビタミンCの存在がガンの進行を抑制する可能性を示唆するものである。最近ガン治療で流行している高濃度ビタミンC点滴が有効である生理学な根拠としてビタミンCの抗ガン作用が挙げられるが、ひとつはこれである。
ビタミンCが関わる歴史上有名な事例として、バスコ・ダ・ガマのインド航路の発見(1494年)の航海がある。この航海によって、インド航路が開発され、大航海時代が開始されたとみてよい。このような世界史の教科書に書いてある事実の他に、ビタミンCに関する重大な出来事がある。すなわちリスボンに帰港したとき、船員の半分以上が壊血病で死亡していたという。イギリス海軍の軍人がレモンにこの壊血病を予防する効果があることが発見し、長い航海の場合はレモンを積み込むことをするようになるのは、バスコ・ダ・ガマのインド航路の発見から200年以上経過した後だったのである。逆に言えば、18世紀に至るまで、欧州から南米、欧州からアジアに至る航路を超えて旅行するのは、常に船員の何割かが壊血病で死亡していたと考えられ、文字どおりに命がけの航海だったのである。レモンの中に含まれる抗壊血病因子の発見はさらに200年を要しいている。すなわちセント・ジョルジュというハンガリー出身の生化学者がアスコルビン酸という物質を発見し、これがレモンに含まれる壊血病を予防する成分であることを証明し、ノーベル医学生理学賞を受賞したのは、1937年のことである。まさにセント・ジョルジュのビタミンCの発見によって、ビタミンの研究が当時の医学研究の中心になったといってよい。また本当の意味で壊血病は非常に稀な病気になったのである。
ライナス・ポーリングという化学者は蛋白質の2次構造の発見でノーベル医学生理学賞(1954年)また反核運動で1962年にノーベル平和賞をとった、当時でも今でのビックネームである。彼の業績の中で当時の医学者にあまり認められなかった仕事に、ビタミンCの関する仕事がある。1950年代から、分子矯正医学という学問を唱えて、彼がビタミンCの大量点滴を行うことになった。特に彼が想定したのはガン治療であり、ガン患者に1日数十グラム(50グラム以上)を点滴することによって抗ガン作用があると報告して、当時の学会に波紋を与え、多くの学者から強い批判を浴びた。このビタミンCの抗ガン作用は、一度はライナス・ポーリングの間違った報告として黙殺されていた時間が長く続いた。これから50年程度経過して、ビタミンCを大量に点滴するとガン患者に有効であるという報告され、多くの研究者がライナス・ポーリングの報告を追試し、その結果が正しかったことを認めた。現在ではビタミンCの大量点滴(1日100グラム程度を毎日点滴)はステージ4のガン患者に効果があるという事例が多数蓄積している。日本においても多くの病院で保険適用外ではあるが、放射線治療、化学治療及び外科治療の補助治療として、末期ガン治療に使われることがある。ライナス・ポーリングのグループは患者に点滴で投与したのに、それに異を唱えて実験を行った人々はビタミンCを経口投与で行うという基本的な齟齬があったのは有名な話である。以下の図で示すように、ビタミンCの経口投与ではビタミンCの血中濃度がmMオーダーまで増加することは殆どないのに対して、大量点滴ではmMオーダーをはるかに超えることも容易である。もうひとつの違いを述べれば、ビタミンCの経口投与では腸管の中で大部分が酸化されてデヒドロアスコルビン酸になるのに対して、大量点滴は血中に酸化されていないビタミンCが大量に存在できるという点で異なっている。酸化されていないビタミンCがmMオーダーで体内に存在できるようにすることが、ビタミンCの大量点滴の抗ガン作用のエッセンスであると考えらえるのである。
応用生物学部 佐藤拓己