~マイケル・サンデル先生と「日本での授業」~
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偶然だった。注文していた本(『これからの「正義」の話をしよう』)が届いたその日の夜、明日の天気が気になってテレビをつけると、眼に飛び込んできたのは著者マイケル・サンデル先生の映像。ああ、東大の授業ってこれか。まだ、開いていない本は全米ベストセラーであり、日本での翻訳書もこのところずっと書籍売上の上位から動かない。ベストセラーの著書というよりもハーバード大学でその学部科目「Justice(正義)」の受講生があまりにも多いので、建学以来初めて、講義をテレビで一般公開したというサンデル先生のエピソードはあまりに有名であった。遅まきながら、その本を手にしたその日に、東大で行われたサンデル先生の講義を聴くとはラッキーであった。サンデル先生が問題を提起し、それに学生たちが答えていく。学生のある考えに対して、それとは異なる考え方を学生間から呼び起こし、異なる考え方、受け止め方について、ときには思想史に触れながら、丁寧に補足していく。サンデル先生は異なる意見を導き出しそれに対して解説するだけで、どちらが正しいとか妥当だといった価値判断は差し挟まないようだ。
ベストセラーとなると、書評だったり記事だったり、本を読む前にすでに多くの情報が与えられているので、テレビを観ているだけで本を読む前から「そうそう」などと納得しているから困ったものである。サンデル先生は身近な事柄を引き合いに出しながら、公平性や自由、平等、美徳といったことを論じていく(考えさせていく)。たとえば、自分が生まれる前の国家の行いに対して、自分は責任があるのか、ないのか?あるいは、自分の親が行った過失的行為に対して、子どもは責任があるのか、ないのか?たとえば、親が隣の家を全焼させてしまったら、子どもに道徳的責任はあるのか、ないのか?(悩みますよね、こんな状況を想像すると。)サンデル先生はどんどん同時通訳のイヤホンを耳につけた学生たちに質問を投げかける。
あなたの兄弟が殺人を犯したとき、あなたはどうしますか?逃がす?警察に通報する? 学生が手を挙げ、「通報します。」/「あなたの兄弟ですよ、いいのですか?」/「罪を犯したのだから仕方ないし、警察に通報するのが義務です。」/「家族への忠誠心は?」/「社会に対する義務が家族の忠誠心より勝ります。」そんなやりとりを聞いているうちに「忠誠心」という日本語に引っかかった。同時通訳の日本語だけれど、英語の一部が聞こえてくる。”family royalty”, たしかに「家族への忠誠心」と訳していいのだろうけれど、「家族への忠誠心」という日本語がイヤホンから流れてきたら、すぐに反応できるだろうか?でも学生たちはちゃんと反応しているからエライ!と妙な感心をしていたら、イヤホンをつけて日本語を話しいていた学生たちが途中から次から次へとイヤホンを外し、英語で直接サンデル先生と話し始めた。しかもほとんどネイティブと変わらない発音で。ああそうか、この学生たちは「家族への忠誠心」などという聞きなれない日本語にたじろがないはずだ、最初から英語で理解しているのだから。それにしても東大といえどもバイリンガルの学生ばかりじゃないはず。だいたい、兄弟が殺人を犯したとき、警察にすんなり通報するだろうか?辛くて情けなくて、兄弟が可哀そうで親が可哀そうで、ついでに自分も可哀そうで、「通報」という結論に至るだろうか?
次の日、イギリス人の同僚W先生にサンデル先生と学生たちの対話について話してみた。W先生曰く、「そのバイリンガルの学生たちは習ったことを言っただけかもしれない。つまり、私もそうだけれど、西洋の学校では家族の絆(royalty)よりも社会のルールを尊重するように教わるから。」そうか、あの学生たちの発言は“political correctness”ともいえるわけか。腑に落ちた。(T.Y.記)